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最高裁判所第一小法廷 平成3年(オ)580号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人後藤玲子、同増田正幸の上告理由について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告人(拘束者)とその妻である上告人(請求者)との間には、長女被拘束者A(昭和五八年○月○日生)、次女同B(昭和六〇年○月○日生)がある。

2  上告人は、平成二年一〇月一六日、被拘束者らを残したまま家を出て、以後被上告人と別居するようになり、同月三一日神戸家庭裁判所に被上告人との離婚を求める調停を申し立て、平成三年一月九日同裁判所に被拘束者らの引渡しを求める調停を申し立てた。

3  被上告人は、医師としてa市内に産婦人科の医院を開業し、医院兼自宅(鉄筋コンクリート三階建てで、一、二階が医院、三階約一六〇平方メートルが居宅部分)で被拘束者らと居住しているが、上告人が家を出た後、被上告人と以前情交関係があったCを自宅に寝泊まりさせ、被拘束者らの身の回りの世話はほとんど同女にさせるようになった。被上告人は、休日のほかは、午前八時三〇分ころから一階の診療所で診察等に当たり、三階の住居部分に戻るのはほぼ午後八時から一〇時ころである。また、被上告人は、強迫神経症のため、診療所や診療後の自己の身体の清潔に関しては非常に気を遺い、医院関係者にかなりの程度の潔癖を要求している。同医院の年間収入は約七〇〇〇万円であるが、人件費や借入金の返済等もあり、経営状態は必ずしもよくない。

4  被拘束者Aは、小学生であるが、平成二年一一月ころから表情が優れず、登校拒否状態になり、平成三年一月うつ状態である旨の診断を受け、以後カウンセリング等の治療を受けている。

5  被拘束者Bは、平成二年一二月以降保育園に登園していない。

6  上告人は、単身で団地に居住し、別の病院の看護婦として勤務しており、収入は手取り月約二三万円である。上告人は、被拘束者らを引き取った場合に備えて、夜勤、準夜勤、休日出勤の際の被拘束者らの世話を知人に依頼するなどの準備をしている。

二  右事実関係の下において、原審は、上告人による監護が拘束者によるそれよりも特に優れていると見るべき事情は見いだし難く、右拘束の違法性が顕著であることの疎明が充分であると認めることはできないことを理由として、上告人の被上告人に対する被拘束者らの引渡しを求める本件人身保護請求を棄却した。

三  しかし、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

夫婦関係が破たんにひんしているときに、夫婦の一方が他方に対し人身保護法に基づき共同親権に服する幼児の引渡しを請求した場合、幼児に対する拘束状態の当、不当を判定するについては、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として定めるべきである(昭和四二年(オ)第一四五五号同四三年七月四日第一小法廷判決・民集二二巻七号一四四一頁)。

これを本件についてみると、原審の確定した事実関係によっても、被上告人自らが被拘束者らと接触する時間は少なく、被拘束者らの日常の世話をしているCは、被上告人と情交関係にあった女性で、上告人が家を出た後に被上告人が自宅に寝泊まりさせるようになったのであるから、被拘束者らの育成にとって良好な状況にあるとは認め難いこと、被上告人は、強迫神経症で医院関係者にかなりの程度の潔癖を要求していること、被拘束者Aは、母親不在となった後登校拒否状態となり、その後うつ状態との診断を受けていて、精神的に安定した成育状態にあるとは認め難いこと、他方、上告人は被拘束者らを引き取って監護すべく可能な限りの準備をしていることなどの諸事情が存在するのみならず、被拘束者らが八歳、六歳の女児であることを考慮すると、母親の監護を重視する視点も必要であることはいうまでもない。

また、記録によれば、原審における被拘束者らの代理人岡本日出子は、上告人と被上告人双方の環境、被拘束者らの状態を調査した結果に基づく報告書及び本件疎明資料をも総合評価した意見書を提出しており、その主要な内容は、被上告人は、診察終了後必ずレジスター内の金銭をガス消毒させるなど異常ともいえるほどに自己の身辺を消毒し、日常これに相当の時間を費やし、そのため休日のほかは被拘束者らと顔を合わすことも少ないこと、被拘束者Aは、母である上告人が家を出た後、極度の不安状態に陥り、Cに対しても少なからず反発心を抱いており、退行現象も現れ、登校拒否を繰り返すようになっていること、被拘束者らは上告人を強く思慕し、上告人と同居することを切望していること、他方、上告人の方は被拘束者らを引き取った場合の監護態勢を整えていること等の事情があるから、被上告人の下での監護よりも上告人の下での監護の方が被拘束者らの幸福に適するとしている。

このように、原審の確定した事実関係によっても、被拘束者らは、被上告人の下で監護されるより上告人の下で監護される方が幸福であると認められる可能性があるとともに、被拘束者らの代理人の意見をたやすく否定することには疑問がある。

しかるに、原審は、前記の諸事情の下における監護態勢が被拘束者らの幸福に与える影響や被拘束者らの代理人の意見を十分しんしゃくすることなく、確定した事実関係によっても、上告人による監護が被上告人によるそれよりも特に優れているとみるべき事情は見いだし難いとし、上告人の本件請求を棄却したのであって、原判決には、独自の判断基準で本件請求の当否を決した法令の解釈適用を誤った違法があるか、又は、審理不尽、理由不備の違法があるかのいずれかであるといわざるを得ず、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

四  以上によれば、論旨は右の趣旨をいう点において理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くさせるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。

よって、人身保護規則四六条、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 味村治 裁判官 大内恒夫 大堀誠一 橋元四郎平)

上告代理人後藤玲子、同増田正幸の上告理由《省略》

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